7月は男女共に現在の1マイル競走世界記録の記念日です。今回は、中距離走を象徴とするこの1マイル競走の歴史の中から、イフリーロードにインスピレーションを与えてくれた選手達について紹介します。
「フライング・フィン(直訳:空飛ぶフィンランド人)」と敬意を持って呼ばれたパーヴォ・ヌルミは、20世紀初頭に中・長距離走の世界で一世を風靡しました。20年代には、オリンピックで1500メートル競走と10,000メートル競走共に金メダルを獲得し、クロスカントリーでは圧倒的な存在感を放ちました。1923年に1マイル競走を4分10秒04で走った記録は、その後ほぼ10年以上破られることなく、歴史に残りました。
1923: パーヴォ・ヌルミの1マイル4分10秒04の記録は、10年以上破られることがありませんでした。
スウェーデン人のグンダー・ヘッグとアルネ・アンダーソンは、お互いの記録を何度も破り合い、1マイル競走の世界記録保持者の座を争い合いました。最終的には、1945年、ヘッグがマルメのレースで4分1秒04の記録を更新して優勝。この記録は、約10年後にロジャー・バニスターが初めて1マイルを4分以下で走るまで、破られることはありませんでした。
1918年、ヘッグはスウェーデンのソルビグデンで生まれました。連続記録更新者で、1500メートル競走から3マイル競走の間で15もの世界記録を樹立し、「グンダー・ザ・ワンダー」の愛称で親しまれました。
アンダーソンとヘッグは、1940年代半ばから、常にライバルとして競い合っていました。
バニスター、サンティー、ランディ
ロジャー・バニスターは、1954年5月6日にイフリーロードのトラックで、3分59秒4という記録を打ち立て、1マイル4分の壁を破った最初の選手です。この記録への到達は、肉体だけでなく、後のアスリート達のメンタル面にも多大なる影響を及ぼしました。偉大なるアマチュア選手達の最後の一人だったロジャーは、ジュニアドクターとしての過酷な仕事と並行して、この偉業を達成しました。当時、アメリカのウェス・サンティーとオーストラリアのジョン・ランディの二人が1マイル4分台の記録に迫っていたことは、バニスターを新記録の達成ヘと駆り立てました。この二人からのプレッシャー無しでは、バニスターが1マイル4分の壁を越えることはなかったかもしれません。実際、ランディはロジャーのほぼ1ヶ月後に1マイル競争の新記録を更新しました。
ダイアン・レザー
ダイアン・レザーは、バニスターの新記録達成からわずか23日後に、女性として初めて1マイル5分の記録を更新しました。しかし、残念ながら、彼女の功績はあまり評価されませんでした。当時、世界記録として認められる女子中距離走は800メートル競走と880ヤード競走だけで、レザーの1マイル競争での記録が公式に承認されることはなかったからです。実際、1950年代の女子オリンピックには、200メートルを超える陸上競技はありませんでした。国際陸上競技連盟(IAAF)が1マイル競争の世界記録を初めて認証したのは、1967年のことです。ちなみに、女子マラソンがオリンピック競技として認定されたのは、1984年です。
ダイアン・レザーは、バニスターの記録からわずか23日後に、女性として初めて1マイルを更新しました。
コー、オベット、クラム
80年代の英国では、オベットとコー、そして後にはクラムが、数々の世界記録を更新しながら、男子中距離走の世界を独占。まさにイギリス中距離走の黄金時代でした。数々の感動的な戦いの中でも、1980年のモスクワオリンピックは、予想を覆してオベットが800メートル競走で金メダルを獲得し、1500m競走ではコーが優勝したことで注目を集めました。
1980年代を代表する中距離ランナーのセバスチャン・コーは、その華やかな経歴で知られていました。12歳で陸上競技チームのハラムシャー・ハリアーズに入団し、父親の指導を受けた後、ラフボロー大学に進学しました。
スティーブ・オべットは才能あるサッカー選手でしたが、ランニングの道に進みました。1977年の国際陸上競技連盟ワールドカップ1500メートル競走では、オリンピック金メダリストのジョン・ウォーカーを破ってイギリス新記録を樹立し、観客を興奮の渦に巻き込みました。
コーやオベットよりも5歳年下のスティーブ・クラムは、1500m競走を3分30秒以下で走った最初の選手であり、3分46秒32という、現在の英国での1マイル競走の記録保持者です。この三人は、1マイル競争の記録を6回も更新し、クラムの記録は8年間破られることがありませんでした。
モロッコ人のヒシャム・エルゲルージは、1999年7月7日にローマで行われた試合以来、現在の1マイル競争の世界記録保持者です(3分43秒13)。1992年のジュニア世界選手権の5000メートル競走で3位になった時は、まだ17歳でした(ハイレ・ゲブルセラッシーに次ぐ)。2004年のアテネオリンピックでは、一つの大会で1500メートル競走と5000メートル競走で同時に優勝した初の男子選手となりました。
現在、女子の1マイル競争記録保持者は、オランダ人のシファン・ハッサンです。彼女は2019年7月にモナコで行われたダイヤモンドリーグの試合で4分12秒33を記録し、1996年にロシア人のスベトラーナ・マスターコバが樹立した記録を破りました。
イフリーロードは、時には激しいライバル関係に煽られながらも、最後には自身との戦いが試される1マイル競走の物語が大好きです。あなたにインスピレーションを与えたランナーは誰ですか?bill@iffleyroad.com まで教えてください。